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大寳寺年譜

大寳寺年譜大寳寺年譜大寳寺年譜
和暦 西暦 大寳寺のあゆみ 出来事
承安五年 一一七五 法然上人 浄土宗を開く
建久二年 一一九一 源頼朝 鎌倉幕府を開く
建暦二年 一二一二 法然上人 示寂
応仁元年 一四六七 応仁の乱
永正三年 一五〇六 北陸に一向一揆起きる
天文十九年 一五五〇 開山盛譽存雄 千葉上総之助盛胤の嫡子として、下総国に生まれる
慶長五年 一六〇〇 関ヶ原合戦
徳川幕府開く
  八年 一六〇三 存雄 本多伊豆守富正(府中領主)の帰依により大寳寺を創建する
後水尾天皇より宸翰を賜う
 一二年 一六〇七 越前藩初代藩主 中納言秀康没す
 一四年 一六〇九 富正養子吉松丸没す
元和元年 一六一五 盛譽存雄 隠居地の文室正高寺にて寂 六十五歳 幕府 各諸法度を定む
大阪夏の陣
寛永三年 一六二六 二世 岸譽雲海、京師・石像寺にて寂
 十一年 一六三四 三世 雲譽察随寂
 十六年 一六三九 幕府 宗門改役を置く(檀家制度固まる)
元禄八年 一六九五 梵鐘成る (おんだしの鐘) 慶安二年富正死す 七十八歳
宝暦元年 一七五一 宝暦年中 火災にて本堂・鐘楼・座敷等を焼失以後十九世までに伽藍修復完了す
安永四年 一七七五 境内に供養塔を建てる
  九年 一七八〇 中興十七世光譽門英寂 光譽門英【親縁山開基来由録】
【親縁山開基録】
天保十年 一八三九 田方町に聖徳太子像を勧請
嘉永五年 一八五二 府中大火により伽監大半を焼失 民家千四百三十七戸、寺社二十三焼失
安政三年 一八五六 孝明天皇より綸旨を賜う
  五年 一八五八 本堂を再建
万延元年 一八六〇 宗祖大師六百五十回御遠忌奉修 明治二年 府中を武生に改称
明治七年 一八七四 中興二十世諦譽念随寂 明治三年 武生騒動
  九年 一八七六 当山にて大和国当麻寺 曼陀羅開帳
三十五年 一九〇二 五重相伝開筵
三十八年 一九〇五 鐘楼堂を現在地に移す
 四十年 一九〇七 宗祖大師七百年大遠忌奉修
大正四年 一九一五 開山上人三百回忌厳修 大正四年 町用水に植樹
昭和三年 一九二八 五重相伝開筵 昭和四年 公会堂新築
  五年 一九三〇 裏門の参道拡張
  八年 一九三三 本堂・鐘楼堂上棟式
 十六年 一九四一 梵鐘供出 太平洋戦争
二十二年 一九四七 梵鐘新鋳 昭和二十三年 市制施行
二十四年 一九四九 五重相伝開筵
二十八年 一九五三 総本山知恩院門跡・岸信宏猊下御親教
三十四年 一九五九 庫裡改築
三十五年 一九六〇 元祖大師七百五十年大遠忌厳修
開山上人三百五十回忌厳修
三十七年 一九六二 五重相伝開筵 昭和三十八年 豪雪
四十九年 一九七四 五重相伝開筵 昭和四十年松並木撤去
五十年 一九七五 開宗八百年大遠忌奉修
中興・二十四世佛譽亮孝隠居
二十五世法譽孝導晋山
五十五年 一九八〇 宝物収納庫新築
五十九年 一九八四 式台並びに大廊下新築
 六十年 一九八五 五重相伝開筵
総本山知恩院・三上人大遠忌の右導師を勤む
六十一年 一九八六 本堂屋根を葺替え
平成七年 一九九五 大本山清浄華院・御忌唱導師を勤む
五重相伝開筵
二十五世法譽 総本山知恩院執事に就任
  八年 一九九六 総本山知恩院御忌大会唱導師を勤む
 十四年 二〇〇二 二十五世法譽 総本山知恩院執事長に就任
 十五年 二〇〇三 大寳寺開創四百年記念慶讃法要

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